実に興味深い。
空気が読めないんじゃなくて、もともと「空気が無い」のか。
個体にこだわる思考だから、
どおりで冠詞に厳格だったり、
先生が机に座って授業をしたりするのも自然なわけだ。
反面、「おもいやり」や「使う人の事を考える製品」、「環境をデザインする」ことは
日本人が発揮できるDNAな訳で
結果、諸外国で評価されているわけか。
ラテンののんびりリズムに併合して
日本人的価値を発揮できないでいると
日本の評価を下げる事になってしまう。
ゆえに、ビキニになっても、いつも心には大和魂を。
(うん、私とっても日本人的)
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